スペシャルキッズの育児と暮らしについて、働きながら子育てをするママさんのブログを転載させていただいています。
2020年2月よりnoteにて投稿されている記事の一部を、チャーミングケアモールでも転載させていただいています。
第1回チャーミングケアモールアンバサダー会議により、初期の記事より時系列に記事をチョイスさせていただきました。
温室育ち。
生まれ落ちたその日からNICUで数ヶ月過ごしている息子・おもちくん。
常にヒーターで暖められ、保育器に寝かされている彼は、まさに温室育ちである。
そんなおもちくん、その呼び名のとおり、非常に、色が白い。
透き通った白さ、というのか、とにかく私の手と全然色が違う。絆創膏を貼った指が、そこだけふやけて白くなっているのと同じぐらい、色が違う。
『おもちくん、色白ね!』
とよく言われるが、心が落ちている時には、
『病院から出たことがないからね、私だって本当は、太陽の光を浴びられて外の空気を吸えるような生活させてあげたいよ』
と非常にささくれ立った気持ちでいた。
パパが初めて抱っこした日までは。
おもちくんのパパは、雪国のひとだからか、とても色が白い。そして頬が赤い。あきたこまちの米袋に印刷されている、傘を被ったゆきんこを、オジサンにしたような感じである。でもオジサンだから、美女ではないし、日焼け止めを塗る訳でもないので、まあ、白めのガサッとしたオジサンである。
しかし元来イエローベースで、日光をよく吸収して、焼けば焼くほどこんがり焼ける私は、ブルーベースなパパのことが、ちょっとかなり羨ましい。
閑話休題。
生まれて100日経って、初めてパパが抱っこ出来た日。
私は密かに静かに非常に衝撃を受けた。
ガサッとした白めのオジサンなパパの、日焼けしていない指の内側。
おもちくんと全く同じ色であった。
私はてっきり、NICU育ちでもやしっ子の温室育ちだから、青白いのかと思っていたのだ(医学的根拠はない)。
そうか・・・おもちくん、地がブルーベースだっただけか・・・(重ねて医学的根拠はない)。
心の違う部分がささくれ立って、私は自分の手のひらをじっと見つめた。
NICUは、面会制限の厳しい病棟のひとつである。
父母本人だけでなく、同居家族の感染症でも割と気軽に長期間面会不可になったりする。
2月、まだ新興のあいつが本腰でなかった頃だが、我が家で一度に2種類の学校伝染病による家庭内パンデミックが勃発し、ほぼ3週間NICUに行けなかったことがあった。
おかげさまで、NICUで守られていた息子・おもちくんは、無傷である。
しかし、母である私のメンタルは、無傷でなかった。
折しも、帝王切開の傷が癒え、産前産後の記憶が曖昧になってきているなぁと感じていたところなのに、おもちくんに会えない。上の子達の看病、自分もちょいと具合が悪いし、めちゃくちゃ寝不足。癒される要素、ZERO。
『このままじゃ、おもちくんのことを私は忘れてしまう!』
夜中に搾乳しながらわんわん泣いた。
わんわん泣いて、呟くどころか叫んじゃった。
私のメンタルがズタボロになりかけていたことは何故かNICUや新生児科全体の共通認識になっており、家庭内パンデミックの終息宣言ののち、今に至っても、『あの時は大変でしたねー』と各方面から声をかけられる始末。
ちょっと恥ずかしい。
恥ずかしいことは忘れたい。